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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)4927号 判決

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 多賀健三郎

同 正野建樹

被告 甲野一郎

主文

一  被告は、原告に対し、別紙目録記載の部屋を明渡し、かつ昭和四九年二月八日から右明渡ずみに至るまで一ヶ月金一七、〇〇〇円の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主文と同旨

2  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、被告との間で昭和四一年八月、別紙目録記載の部屋(以下、本件部屋という)を、賃料月額一五、〇〇〇円、期間二年間とする賃貸借契約(以下、本件賃貸借契約という)を締結し、被告に右部屋を引渡した。

ちなみに、原告と被告とは姉弟の関係にあり、別紙目録記載の共同住宅一棟(以下、本件アパートという)は一、二階いずれも三世帯分の貸室を有し(一世帯分は約一〇坪)、そのうち本件部屋は一階の一番奥にあり、一階三号室と呼ばれている。

2  原被告は昭和四三年八月本件部屋の賃料を月額一六、〇〇〇円、昭和四五年八月同月額一七、〇〇〇円とする旨各合意し、それぞれ本件賃貸借契約を更新した。

3  原告は、被告の信頼関係違背により、本件賃貸借関係の継続を著しく困難ならしめる事由があることを理由として、本訴状により本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなし、右意思表示は昭和四九年二月七日被告に到達した。

4(一)  すなわち、被告は、昭和四六年春ころ、原告所有の別紙目録記載の共同住宅(以下本件アパートという)の廊下に魚の頭などの汚物を置くなどして同アパートの他の居住者にいやがらせをした。

(二) 被告は、その隣室(一階二号室)に居住していた訴外小山泰貞に対し、昭和四七年一二月六日突如として「不法行為に基く損害賠償を請求する」旨の内容証明郵便を送りつけ、同じく本件アパート二階二号室に居住していた訴外中条博に対し、昭和四八年五月五日付で「貴宅より………衝撃波らしきものを僕の身体に受け……左右の耳を貫通された」旨の内容証明郵便を発送し、更に右アパート二階三号室に居住していた訴外佐伯利夫、和子夫妻に対し、昭和四九年一月七日付で、「君等は電気ショック様のものを発射した。……君等が移転して来た前後より僕の所では数度の窃盗事件が起きており……」との内容証明郵便を発送し、そのほか原告や訴外高木進、静子夫妻(本件アパート二階二号室居住)らに対しても、同種の内容を記載した郵便物を送りつけて、同人らを畏怖あるいは困惑させた。

(三) また、被告は、本件アパート二階三号室に居住していた訴外鳥海泰子らに対し、「奇妙な衝撃波を受けるが覚えはないか」などと同人らの部屋に来てしつこく話してみたり、また本件アパートの各室に被告名義で常人の理解し難い内容をもった意味不明の置手紙をしたりするなどのいやがらせを行った。

(四) 昭和四八年四月ころから被告は日夜ラジオを高音でかけっぱなしにし、とりわけ同年九月以降は自室の押入天袋にラジオを置き、毎夜のように一晩中ボリューム一杯でかけっぱなしにした。そのため他の居住者の要請で警察官に来てもらうことも一再でなかった。

(五) このような被告の異常な所為により、佐伯利夫は睡眠剤を使用せざるをえなくなり、同人の妻和子は不眠、不安が続き、頭髪に脱毛症状が起り、また鳥海泰子は、不眠症のためノイローゼとなり精神科医に診察を受け、薬による治療を必要とするようになった。

(六) さらに被告は、本件アパートの居住者が朝、出勤する際、無断でその姿を写真にとりまくり、同居住者に困惑を覚えさせた。

(七) これら被告の悪質ないやがらせ行為に耐えかねて、小山泰貞は入居して僅か二ヶ月後の昭和四七年一二月二〇日、中条博は入居後四ヶ月目の昭和四八年六月一〇日に、鳥海泰子は入居四ヶ月後の同年八月三〇日に、訴外室信治は、入居後一四ヶ月目の同年七月二〇日に、訴外松尾博は入居五ヶ月後の昭和四九年一月二〇日に、佐伯利夫、和子夫妻は入居六ヶ月後の同年三月一八日に各々本件アパートから転出した。

なお、右以外の者も経済的事情からすぐに転居するわけにもゆかず、辛うじて耐えているだけで、被告の異常な所為は他の賃借人の著しい迷惑となっている。

(八) そして、本件アパートの一室(二階三号室)は被告のいやがらせのため居住者が転出したままで、新居住者が決まらず空室になったままである。

(九) 原告も、本件アパートの居住者及び警察官から被告の右各所為について何度となく苦情を持ち込まれ、被告の処遇に悩み果て、心安まることがなく、最近は不眠症となりノイローゼ症状さえ呈し始めている。しかも、本件アパートの各室の借主は次々と転出するが、被告が本件部屋の賃借人であるかぎり、本件アパートの各室を永続的に借受ける者を見出すのは困難であり、原告は経済的にも損失を蒙っている。

5  よって、本件賃貸借契約の終了に基づき、原告は被告に対し、本件部屋を明渡し、かつ本件賃貸借契約終了の翌日である昭和四九年二月八日から明渡しずみに至るまで一ヶ月金一七、〇〇〇円の割合による賃料相当額の損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の事実は認める。

2  請求原因3の事実は争う。

3  請求原因4(一)ないし(九)の事実のうち、(二)の被告が小山泰貞、中条博及び佐伯利夫、和子夫妻に対し、それぞれ同請求原因記載の内容証明郵便を発送した事実は認める。同(七)の本件アパートの居住者の転出状況は知らない。同(九)のうち原告の経済的損失は否認する。請求原因4のその余の事実は否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1、2の事実は当事者間に争いがなく、同3の事実は本件記録上明らかである。

二  そこで請求原因4の賃貸借関係を継続できない事由の存否について判断する。

1  請求原因4(一)の事実は、《証拠省略》によって認めることができる。《証拠判断省略》

2  請求原因4(二)の事実のうち、被告が小山泰貞、中条博、佐伯利夫、和子夫妻に対し各内容証明郵便を発送した事実は当事者間に争いがない。

3  《証拠省略》及び前記一の争いがない事実によれば、

(一)  原告は本件アパートを所有し、その各室(六世帯分)を賃貸して、これから得られる賃料収入を経済的な基盤として生活しているものであるところ、被告には昭和四六年春頃から本件アパートの賃借人の生活の平穏を脅かす異常、奇矯な言動が目立つようになった。

すなわち、本件アパートの廊下に魚の頭などの汚物を故意に放置して、迷惑を及ぼす行為を敢えてしたり、同アパートの賃借人である小山泰貞、中条博、佐伯利夫・和子夫妻に対して、請求原因4(二)のとおりの内容証明郵便を送りつけた(この事実は当事者間に争いがない)。

(二)  被告は佐伯夫妻に対する昭和四九年一月七日付の右内容証明郵便中で、佐伯夫妻が被告の言動の異常さを指摘して、いわゆる一一〇番に電話をし、警察のパトカーの出動を要請した行為をもって、被告に対する侮辱であり、名誉毀損及び営業妨害に当ると言いがかりをつけ、納得の出来る回答を文書でせよと迫った。

(三)  また被告は、小山泰貞に対する前記(一)の内容証明郵便中で、昭和四七年一二月五日の午前三時半に二、三分間ほど小山夫婦が高声で騒音を発し、被告の安眠を妨げたことにより、被告が予定していた写真撮影が出来なくなったと称して、悪意による不法行為に対する損害賠償を請求する用意がある旨を申し入れた。

(四)  さらに被告は中条博に対する前記(一)の内容証明郵便中では、「衝撃波らしき怪電波の発信源の有無を質問する等の被告の所為について、中条博が昭和四八年四月一八日に近所の交番の警察官に近所迷惑であるとして訴えたことは、被告に対する不法行為であると思われるから、これがいかなる法的根拠に基づくかを五月二〇日までに文書で回答しないときは、被告は自分の生命と身体を守るために独自の調査を開始すること、それによって生じる全責任は中条博において負うべきこと」を申し入れた。

(五)  さらに被告は、本件アパートの二階二号室に入居していた高木進、同静子の夫妻に対しても、「衝撃波」云々を内容とする手紙を送りつけたほか、同一階一号室の入居者である訴外石井ほか本件アパートの全入居者に対して、昭和四九年四月一〇日付の内容証明郵便等をもって、「被告の所持していた大口径ライフルが窃取され、強盗予備、殺人未遂の犯罪が企図され、佐伯和子はその一員であるから警察に告訴した。」旨を言い触らした。

(六)  これより先、被告は、本件アパート二階三号室を佐伯夫妻の前に賃借した鳥海泰子に対して、同女が入居して一週間たつかたたない頃、その居室を訪れ、「奇妙な衝撃波を受けるが、覚えはないか。」などと異常かつ執拗な質問をした。

(七)  加えて被告は、遅くとも昭和四八年四月から、盗聴防止策と称して、本件部屋の押入の上にある天袋の中にラジオを置き、一日中大音量でこれを鳴らし、騒音を本件アパート内に拡散させるに至った。そのため、本件アパートの入居者から被告及び本件アパートの家主である原告に対して騒音、不眠等の苦情が相次いだけれども、被告はこれらの苦情を受けつけず、また原告の制止も聞き入れず、連夜ラジオを大音量でかけっ放しにした。

この騒音被害は、本件部屋の真上に当る二階三号室で特に甚大であり、鳥海泰子、佐伯和子はいずれも不眠に陥り、健康を害ねたほどであった。

(八)  以上のような被告の常軌を逸した行動のために、本件アパートの賃借人には短期間で他へ転居する者が続出し、居残った賃借人のみならず、仲介した不動産仲介業者からも原告に対して苦情が述べられる始末であった。

そして、本件アパートのこのような異常事態は次第に世間の噂にも上り、特に二階三号室は借手がなく、空室の状態が続き、本件アパートの賃料を殆ど唯一の収入源とする原告は経済的にも困惑した。

(九)  原告は、実弟でもある被告(この点は争いがない)に対して、幾度か前示のような異常な行動を止めるように説得したが、事態は改善されず、思い余って、被告の不在中に本件部屋の天袋に設置されたラジオの電源を切ったこともあった。しかし、原被告間には感情的なあつれきもあって、これも解決策とならず、被告の病的異常は止まなかった。

それどころか、本件アパートの居住者と被告との間の紛争を制止するため出動した警察官は原告に対して、被告の所に顔を出さないようにと勧告するほどであった。

また原告が最寄りの杉並保健所に相談しても、「弟さんを刺激しないように。自傷他害のおそれがない間は公的には処遇できない。」と言われるだけで、本件アパートの管理・経営上の障害となる被告の処置について、適切な打開策は得られなかった。

との事実を認めることができる。

《証拠省略》のうち、被告には右認定のような異常な行為はない旨の部分は採用できず、他に右認定に反する証拠はない。

三1  被告名下の印影が被告の印章によるものであることは被告の自認するところであり、この事実と請求原因2の事実及び《証拠省略》によれば、本件賃貸借契約について昭和四五年八月三一日更新の際に作成された契約書第七条において、被告は近隣の迷惑となるべき行為をしてはならない義務を負っていることが認められる。

2  のみならず、そもそも右のような義務は、賃貸借契約書上に明文があると否とに関りなく、共同住宅の一区画を目的とする本件のような賃貸借契約においては、信義則上からも当然に借主の義務の一内容をなすものである。

3  そして、前記二、三で挙示、認定した被告の所為は明らかに右義務に違背し、しかもその違背の程度は重大であり、前記三(九)のとおり、原告の制止も、被告の義務違背の所為を改めさせることは出来なかったものである。

してみると、被告の右義務違背は、もはや催告を要しないほどに著しい信頼関係の破壊であり、原告をして本件賃貸借契約関係の継続を著しく困難ならしめるものであるから、原告は催告を要しないで同契約を解除できるものと言うべきである。

五  結論

以上のとおり、本訴請求は理由があるのでこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 山本和敏)

〈以下省略〉

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